沿 革
昭和16年 4月 |
産報会館(産連会館の前身)竣工 |
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12月 | 産業報国会板橋支部に名称を変更 |
昭和20年 9月 | 産業報国会解散 板橋工業倶楽部設立(東京光学機械 理事長 金森次郎) |
昭和21年 3月 | 板橋産業協議会設立(理事長 金森次郎) |
昭和22年 6月 | 板橋産業協議会が使用していた(産報)会館を板橋労働会館に改称 |
9月 | 板橋労働基準監督署が労働会館の一室に開署 |
昭和23年 6月 | 板橋労働会館の土地・建物の所有権登記が完了 |
9月 | 板橋労働基準監督署庁舎建設協賛会設立。会員による募金活動開始 |
昭和24年12月 | 労働基準監督署の協力団体として労働基準法推進会板橋支部設立 (労働基準協会の前身初代会長 安西鉄工所 安西伊之助) |
昭和25年 8月 |
板橋産業納税協力会及び労働基準法推進会並びに 板橋産業協議会の業務・事業を一本化し「板橋産業連合」が発足 |
昭和27年 5月 | 金森初代会長勇退。田栗惣十(昭和金属工業)会長就任 |
昭和29年 7月 | 会員から出資金を募り、会館の土地を買収することを決める。 板橋産業連合を板橋産業連合会に改称 |
昭和30年 | 志村分会、前野分会の一部会員で清水分会を結成、8分会となる |
昭和31年 6月 | 産連創立10周年記念式典を区民会館で挙行 |
12月 | 会館改修落成式挙行、板橋産連会館に改称 |
昭和32年 4月 | 社団法人 板橋産業協議会の名称を社団法人 板橋産業協会に改称 |
昭和41年10月 | 創立20周年式典を池袋東武会館で開催 |
昭和42年 3月 | 板橋区と共催で「板橋区産業と勤労者文化展」開催 |
昭和43年 4月 | 板橋区と工業振興対策事業委託契約を締結 |
昭和44年 | 奥川由松(奥川機械工業)会長に就任 |
昭和46年 3月 | 「虹」をモチーフにした産連会館建築に着手 |
昭和47年10月 | 板橋産連会館落成式挙行 |
昭和50年 5月 | 金谷勇(協和精工)会長に就任 |
昭和51年 3月 | 創立30周年記念式典挙行 |
昭和53年 4月 | 板橋公害防止管理者研究会設立 初代会長 金谷勇 |
昭和58年 5月 | 八代秀蔵(トックベアリング)会長に就任 |
昭和61年 5月 | 創立40周年記念式典挙行 |
昭和63年 6月 | 板橋公害防止管理者研究会設立10周年記念式典開催 |
平成 2年 5月 | 定時総会において副会長が従来の5人から6人になる |
平成 3年 5月 |
この年から広報委員会が設置され、 「板橋産連ニュース」の編集発行が総務委員会から移管 |
平成 4年 6月 | 板橋公害研、「東京都環境賞」を受賞 |
平成 5年 5月 | 「板橋産業連合会地球環境憲章」を採択 |
平成 6年 6月 | 「環境にやさしい企業行動計画」を報告 |
平成 7年 4月 | 健康診断、バスハイキング行事等を厚生委員会が担当することになる |
平成 8年 9月 | 創立50周年記念式典挙行 |
平成 9年 5月 | 八代会長退任、新会長に安達芳雄(安達光機)就任 |
10月 | 第1回いたばし産業見本市を後援 |
平成13年 5月 | 安達会長勇退、工藤民雄(工藤プラスチック工業)会長就任 |
6月 | 「板橋公害防止管理者研究会」を「板橋環境管理研究会」に改称 |
平成19年 5月 | 工藤会長勇退、吉川宏(トックベアリング)会長就任 |
平成25年 4月 | 公益法人制度改革により「一般社団法人 板橋産業連合会」に改称 |
平成28年 5月 | 創立70周年記念式典挙行(ホテルメトロポリタン) |
平成29年 5月 | 吉川会長勇退、大島隆夫(三星光機製作所)会長就任 |
令和 6年 3月 | 新〉板橋産連会館竣工 |